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2011年3月

2011年3月31日 (木)

にゃんず。

にゃんず
今週はかくれ里跡に通ってました。蚕舎に収蔵していた民俗資料が残されていないか、昔の写真が落っこちてないかと探し歩いていたのですが、津波の破壊力の凄まじさを毎日毎日思い知らされています。

昨日、津波後はじめて生きている猫を見掛けました。にゃんすけに似ていたので慌てて声を掛けましたが、訝しげにこちらを見た後、瓦礫と化した建物のなかに姿を消しました。

そんなことがあったからなのか、今朝は夢のなかに本宅猫のまあすけが現れて。逢えば必ずチュッとキスで挨拶していたまあすけ、夢のなかではずーっとキスしっぱなしで離してくれませんでした。

今日は雨。気が重い。遅れている瓦礫の撤去、重機や人手はひとつ手前の在郷地区にいるようです。海から離れている在郷地区では屋内にいて犠牲になった方が少なくなく、その捜索がなかなか進まないらしく。

集落の上流端を越えて国有林の入口まで押し流されるなんて誰も思わないよな‥

2011年3月29日 (火)

古墓にて。

古墓より

古墓より
かくれ里裏手の丘の上にある御先祖の墓。波で倒され抜けた墓石がたくさんありました。丘の頂にある二柱の氏神さまも、一方は波に飛ばされ一方には藻が巻き付き‥
津波のときはここに上がれば大丈夫とタカを括っていた管理人。もしあの日かくれ里にいたらどうなっていたか。仮に氏神の杉の木にしがみついて津波を凌いだとしても、濡れネズミのまま夜を越せたかどうか‥
明日は自衛隊の重機が入って沢沿いの瓦礫を撤去しつつ不明者の捜索を行うとのことです。ひとりでも多く見つかることを願います。

2011年3月25日 (金)

給油できました。

給油できました。
地震当日、盛岡に戻った段階ですでにエンプティラインを下回ってた妻の車に、実に2週間振りに!

給油前にガス欠しないかと心配でしたが、アイドリング・ゼロ、定点配置の装備で挑んだ甲斐がありました。上限20リットルでしたが、それでも来週から朝晩合わせて1時間の自転車通勤からは解放してあげられます。家に灯油は残り僅か、職場も朝の1時間しか暖房しないそうで、びみょーな齢の女性にはかなりきつかったはずなので ( ̄ー+ ̄)

明日から宮城に戻ります。東北本線が一ノ関まで通じているのはホントにありがたい。あれこれ考えてたってしかたないので、個の立場でできることをやります。

【追伸】このブログを見てた大学時代の後輩、ABちゃんから灯油を譲っていただきました。奥さんを凍えさせないようにって。本当にありがとう!

2011年3月24日 (木)

サクラ咲く!

いや、盛岡あたりでサクラが咲くのはまだ一ヶ月も先ですが、宮城の多賀城市にいる姪っ子、志望の高校に合格した~ happy02 と嬉しいメールが届きました。

妹からの電話によると、多賀城では電気以外のライフラインが復旧しておらず、スーパーにはいまだ長蛇の列が続いて大変とのことですが‥
でもこれだけはホントに手放しで歓びたいと思います。

合格おめでとうー!!!

2011年3月23日 (水)

わかれ道

110321_065840

今度の津波で命を落とされた多くの方々はもちろんのこと、生きている私たちにとってもこの津波は人生の大きな岐路になるんだろうと思います。

あの日、私は岩手にいました。午前中、大船渡の産金遺跡研究会が刊行した立派な本を受領し、昼に保原屋で天ぷら蕎麦を食べ、夕方から若い友人たちと飲み会の約束があったので早めに盛岡へ。仕事の休みが取れた妻と一緒の楽しいドライブでした。地震が起きるまでは。

あの日、「かくれ里」にいなかったこと。津波にあわなかったこと。両親や祖母と一緒に逃げたのではなく、外から助ける立場になったこと。公ではなく個として動いたこと。そうしたことのすべてが大きなわかれ道だったんだなと、うすぼんやりと感じています。

いま私は盛岡のアパートにいます。妻は自転車で出勤して行きました。ガソリンや灯油が不足していることをのぞけば、市民生活はほぼ平常に戻っています。あんまり穏やかで、ここにいると津波も地震もなにかの間違いだったんじゃないかと思えてきます。

間違いだったらどんなにか良かったか。

2011年3月19日 (土)

津波の翌日から‥

津波の翌日から我々を受け入れてくださり物心両面で助けていただいた登米市津山町の親戚宅を辞し、父が勤める会社所有の同市迫町の住居に移動してきました。避難所に身を寄せている妹家族も明日には合流し、当面はここを拠点に生活することになります。

恵まれていると感じつつ、少なからぬ後ろめたさもあるのですが、10年以上も前に旧志津川町で開催された全国津波サミットの「津波てんでんこ」というサブタイトルが思い出されもします。夜遅くまで準備しながら「行政がそれ言っちゃって良いのかね?」なんて云い合ってた当時の上司や先輩、同僚が今度の津波で何人も亡くなっていることを考えると、不謹慎な物言いかも知れませんが、実に呑気な、しかし楽しい時間ではありました。

津波の後、かくれ里及び管理人に沢山の方から心配や励ましのコメント、メール、お電話をいただきました。そのすべてには御返事できていないのですが、非常に嬉しく有り難く心強く思っております。皆さまに心から感謝申し上げます。

今日くらいから被災地を含めた広い範囲でdocomoも使えるようになり、いままでのような通信途絶状態からは抜け出せそうですが、PCをネットに接続できる環境にはまだなく、しばらくはPCメールの送受信ができない状態が続きそうです。申し訳ありませんが、私への連絡は携帯の方にいただくか、あるいはこのブログのコメント欄をお使いいただければと思います。よろしくお願いします。

2011年3月16日 (水)

雪の朝

皆さまご心配いただき本当にありがとうございます。

これから南三陸に向かいます。また音信不通になりますが、佐沼あたりではdocomoの携帯が使えるようになっているとの情報もあり、通信状況は少しずつ回復しているようです。

安全第一で、自分の身をきちんと守りつつ動きたいと思います。

それではまた。

2011年3月15日 (火)

家族の安全が‥

家族の安全が確保・確認できたので一旦盛岡に戻ってきました。明朝には自車で南三陸に戻ります。ガソリン残量がなく現地へ赴く手段がなかった私に快く車と救援物資・食料をご提供くださった隣家の佐藤さん、また盛岡で不安に耐えてくれている妻に本当に感謝です。

12日の早朝、父からの電話(この朝までは携帯が通じていた)により入谷小学校の避難場所で落ち合うことを決め、昼前には父母と合流。その後、まず祖母をR398を越えた内陸の旧中田町の実家に、私たちはR45を越えた旧津山町の親戚宅に身を寄せました。

Dscn9583 翌日、かくれ里の状態を確認すべく波伝谷へ。写真は西戸集落の惨状。津波警報もいまだ解除されておらず、海岸沿いの被災地を避けて山越えルートを選び、ひたすら歩きましたが、考えてもいなかった上流部にまで瓦礫が到達しているのを見て身体が震えました。

Dscn9680 ようやく昼過ぎに到着した波伝谷は妙に明るく光に溢れていました。写真はかくれ里の跡地。きれいさっぱり流されてました。屋根くらい残っているかと思ったんですが‥

Dscn9664 沢奥に折り重なった建物の群れ。黒瓦の屋根は慶明丸さんの母屋です。ここで慶明丸のさき子さんにお会いし、波伝谷の人たちは志津川自然の家(旧海洋青年の家)に避難していることを知ってようやく安心しました。

Dscn9820 帰り足、意外にも多くの人が海岸沿いの被災地を歩いていました。いまだ公的支援が届かない戸倉半島、皆が自主的に自助的に動いているようでした。写真は戸倉小学校。屋上を波が越えたのがわかります。児童・職員は近くの高台に避難して全員無事だったとのこと。よかった!

Dscn9864_2 翌日は中瀬町の本宅へ。門柱と表札が残されていました。いまさら住所を隠す必要もないんでしょうけどね‥ 奥に見えているのは数年前に立ったばかりのアパート。3棟あったうち、残ったのは1棟のみ。その上にずっと海側から流されてきた倉庫が引っ掛かっていました。

Dscn9928 南三陸町役場防災対策庁舎。この上でなにがあったかはマスコミ報道のとおりです。隣接していたはずの本庁舎は跡形もありません。

現地では避難所へ至るための車輌通行が可能な道の確保が急ピッチで進められていました。昨日の段階ですでに志津川小学校、中学校、大雄寺へは車輌で到達可能。高校へもあと一歩。戸倉方面からはホテル観洋までのR45を通行可能にするとのことでした。ただ、これらの道は当面一般車輌の通行は規制されると思いますし、戸倉半島や歌津方面が通行可能となるにはまだかなりの時間がかかりそうです。

もどかしいのは現地でまったく通信手段がないこと。ネットはもちろん電話も携帯もまったく繋がりません。無事を知らせたくても知らせる手段がありません。私も今回はじめて知人から教えていただいたのですが、Googleにこのようなサイトがあります。

http://japan.person-finder.appspot.com/

このサイトのおかげで私が知りたかった友人知人の無事を確認できましたし、私が現地で会った友人知人の無事を心配していた方々にお伝えすることができました。今後もなんらかの方法で情報を入れていきたいと思います。

Fitdscn9882

2011年3月14日 (月)

とりあえず無事です!

皆さまご心配いただき本当にありがとうございます!中瀬町の本宅も波伝谷のかくれ里も跡形もありませんが、家族は全員無事です!通信機能が完全に失われ、連絡のとりようがありませんでしたが、いま一関まで出てきてようやく携帯が繋がりました。取り急ぎ報告まで!

2011年3月11日 (金)

お願いします!

私は盛岡にいて津波を免れましたが、さきほど父親と携帯が繋がり、家族はみな無事ではあるけれど、家は跡形なく流され、あちこちに火の手も見え、南三陸町は潰滅とのことです。役場も波にのまれたらしく、かつての同僚から役場の屋上に8人で逃げている、救助求むのメールが入りました。
マスコミなど、関係機関にこのことを伝えたいのですが、どこにも電話が繋がりません。この記事を読まれた方、最寄りの機関で結構ですので、情報を流していただけませんか?

2011年3月10日 (木)

島なのに雪!

島なのに雪! 今日は塩竈の浦戸諸島へ島渡り。鳥海山麓とは打って変わって暖かな春の海がノタリノタリとヒネモしてるかと思いきや‥

写真は陽が射してるんでまだ暖かそうですが、実際には曇ってる時間のが長くて雪まじりの北西風がまっこうから吹き付けてきて‥

ときどき気が遠のいてくような寒さでした。3月なのになあ‥

2011年3月 9日 (水)

無事でした。

地震、かなり揺れたようですね。

昨日あんなこと書いたからか、尾根から転がり落ちたりしてねーか?とのメールもいただきましたが、実は管理人、平地の定点でウロカロって動き回ってたせいか、地震そのものに気付きませんでした。

もっとも尾根上にいた人達は、足下から雪崩れて崩落するんじゃないかと瞬間かなりの恐怖を感じたそうです。そう思わせるような嫌な揺れ方だったそうですが、とにかく各方面とも大事なくてなによりでした。

2011年3月 8日 (火)

林道ウォーカー

110308_101913 今日は鳥海山麓に来てました。

いやさすがの豪雪地帯ですね。
私の背丈より高いであろう積雪を踏み締めながら歩いてきました。

さらに驚かされるのが携帯の通話エリアの垂直分布。
車道沿いが圏外でも尾根まで上がるとバリッと三本立ちます。

これならいつ遭難しても安心です!
尾根から沢に落っこちない限りは‥

2011年3月 7日 (月)

ようやく100羽!

明るいうちに帰って来れたので、いつものように波伝谷海岸を覘いたらコクガン36羽。折立海岸にも4羽いたし、合わせて40羽か‥ちょっと頑張れば50羽超えそうだなあ‥

と云うわけでUターンして志津川漁港を覘いたら14羽。旧歌津の伊里前湾にも13羽。こりゃー楽しいわと帰り足で権現海岸に寄り道したら清水浜の入江に18羽。もしかして100羽行けるかも?と平磯漁港に廻ったら防波堤の内側に20羽!さらに沖にも2羽いて合計107羽!

夕暮れ時に駆け足で回ったので、泊浜方面や波伝谷から先をチェックできてないのですが、今シーズンはじめて志津川湾内でのコクガンのカウント数が100を越えました。ラムサール基準の50羽はすでにクリアしていたのですが、これで4シーズン連続の100羽超え達成です!

昨シーズンまでは波伝谷海岸だけで100羽を超える群れを確認することがたびたびあったのですが、今シーズンはかなりの分散傾向です。もっとも個体密度が上がると鳥インフルとかの感染リスクが高くなるんだろうから、湾内にひろく分散するのは良い傾向なんでしょうね。

とりあえず、ちょっと安心しました。

写真は袖浜漁港の東側から見た夕闇の荒島。昔はこの島が海ワシたちの塒になってたんですけどね。

ちなみに波伝谷のオオワシ夫婦はまだのんびりしてましたよ!

2011年3月 6日 (日)

気仙川の漁舟

気仙川の漁舟
今日は午前中だけちょっと良い感じの天気。午後はサァーっと時雨が過ぎてはお日様が顔を出すのを繰り返した後、夕方には本降りの雨に。まあ、昨日の風と比べたらずっと楽でしたけどね^^

写真は定点近くの川岸に揚げてあった川舟。動力船ではありませんが、気仙川漁協のナンバープレート?がちゃんと着いていて、現役バリバリの漁船でした。

なにを獲る舟なのかちょっとわかりませんが、実際の漁の様子、ぜひ見てみたいですね。

2011年3月 5日 (土)

春は名のみの‥

春は名のみの‥
風の強さったら‥
ウグイスなんか地鳴きもしやしません。三脚、普通に立てとくと吹き飛ばされちゃうんで、こんなふうに脚を拡げて、私も片膝ついて観察してました。
明日は今日よりさらに悪い予報。雪は多かったけど、2月のあのポカポカ陽気はどこ行っちゃったんでしょうねえ‥TT)?

2011年3月 4日 (金)

町内用足し紀行+α

今日は久々になんの予定もない平日。仕事柄、銀行や郵便局のいわゆる窓口が開いてる時間に町中にいるのが難しいので、ここぞとばかりに廻り倒してきました。 いや、なんか疲れた‥

町内用足し紀行 写真は「かくれ里」の裏手にある氏神さまの森。ケヤキたちが枝を伸ばしてちょっとしたドームみたいです。ここにフクロウ用の巣箱を架けてみようかなあと考えています。

今シーズンにはちょっと遅いかもだけど、まぁずやってみっぺがね^^

2011年3月 3日 (木)

今夜はエゾシカ丼!

この3日間は町内の現場でお仕事。3月だし南三陸だしと思って安心してたら思いがけず寒かった‥ 福島はもちろんのこと、新潟や秋田よりも寒く感じました。風が冷たいんだよなあ‥

さて、昨夜は仕事の大先輩かつ我が師匠でもあるMMKさん宅におじゃましてすっかりご馳走になりました。珍しかったのがエゾシカの焼き肉。野性味あふれる噛み応えと風味!

学生の頃、ホンシュウジカを食べたときはケモノクサさが強くてダメだったのですが、食用としてちゃんと処理されたシカ肉は実に美味いです!

エゾシカ丼 残ったシカ肉をおみやげにいただいたので、今夜はひとりでエゾシカ丼! ご飯もビール(第三の)もどんどん進みます。て、炭水化物もアルコールもどっちも摂りじゃあ、ますますメタボ一直線ですね^^

2011年3月 1日 (火)

ラムサール条約潜在候補地!

昨年秋に報道発表されてますんですでにご存知の方も多いかと思いますが、国際的に重要な湿地の保全を目的としたラムサール条約、国内では伊豆沼・内沼や蕪栗沼を含む37箇所が登録されていますが、新たな登録に向けて環境省が選定した172箇所の潜在候補地に、我らが志津川湾が含まれています。

Dscn0228 「国際的に重要な湿地」としての国際基準をすでに満たしているからこその「潜在候補地」なわけですが、これが正式にラムサール条約の登録湿地となるためには、地元自治体や住民の賛意が必要不可欠です。

登録なんかされちゃうと、いろいろと面倒な規制が掛かるんじゃないの?と心配するむきもあろうかと思いますが、この条約の大きな特色として、地域の産業や人々の暮らしとのバランスのとれた保全の重要性=賢明な利用(ワイズユース)を提唱していることがあります。

「湿地の生態系を維持しつつそこから得られる恵みを持続的に活用する」こと、それって現在の志津川湾と我々南三陸町民との関わりのあり方そのものです。だからこそ、現状で潜在候補地に選定されたわけですし、この賢明な関わりを今後とも持続させていくことが、まさにラムサール条約の狙いに合致しているわけです。

志津川湾のラムサール条約湿地登録、ぜひ実現して欲しいですね。志津川湾の恩恵を直接・間接に受けて暮らしている者のひとりとして、管理人も微力ながらお手伝いしたいと思います。

Dsc_0310 ちなみに管理人がここ数年来調べている志津川湾のコクガン、環境省の発表資料では触れられていませんが、これもラムサール条約登録の国際基準 「種の個体数の1%以上を擁する」との条件をクリアしてます! この写真だけで122±羽写ってますし^^ 昨シーズンの撮影ですけど。

さらにさらに、お隣りの石巻市(旧町では北上町・河北町)に位置する北上川(追波川)河口域と長面浦も潜在候補地に選定されています。こちらは大河の河口に広がる汽水環境。波静かな内湾である志津川湾とはまた別のカテゴリーで選定されているのですが、戸倉半島をはさんで隣り合ったふたつの水域がともにラムサール湿地の国際基準に適合していると云うのは、この地域の自然がいかに豊かで多様性に富んでいるかの証しですね! ぜひともに登録を目指しましょう!

ラムサール条約についての解説、とくに地元のメリット・デメリットについては環境省のこちらのページをご覧ください!

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